雪の下の熱い話 その1 暗色雪腐病菌
「北海道の自然林では、えぞ松は倒木のうえに育つ。むろん林のなかのえぞ松が年々地上におくりつける種の数は、かず知れぬ沢山なものである。が、北海道の自然はきびしい。発芽はしても育たない。しかし、倒木のうえに着床発芽したものは、しあわせなのだ。」(幸田文「木」 新潮社)
君の名は –学名を巡る論争–
1960年に暗色雪腐病菌が初めて報告された際、その学名はRacodium therryanumと同定された。R. therryanumは有性世代をつくらない種として1880年に記載された種である。一方、欧米では暗色雪腐病とよく似た病害が知られており、こちらは有性世代をつくるHerpotrichia juniperiと同定されていた。過去の研究者は、暗色雪腐病菌と欧米のH. juniperiは非常に似ているとしながらも、日本では有性世代が見つからないことからH. juniperiの学名をあてることを避けてきた。そこで私たちは、暗色雪腐病菌とH. juniperiの菌株についてDNAの4領域の塩基配列を決定し、系統解析を行った。その結果、これまで別物とされてきた2つの種が系統樹上では1つのグループを形成し、両者を系統学的に同一種とすべきだという結論に達した。今後、暗色雪腐病菌に対しては従来のRacodium therryanumではなく、Herpotrichia juniperiという学名を用いることが適切と考えられる。
有性世代はあるのか?
私たちはさらに、暗色雪腐病菌のマイクロサテライトマーカー(ゲノム中にある繰り返し配列をターゲットとした分子マーカー)を開発し、本種の遺伝的多様性を調べた。その結果、暗色雪腐病菌には遺伝的に異なる複数の系統が含まれていることや、それぞれの系統内で有性生殖が行われている可能性があることが明らかになった。暗色雪腐病菌が報告されて80年以上経つが、国内で有性世代が見つかったことはない。DNA解析の結果が示すように有性世代は存在するのか、そして、遺伝的に異なる系統の存在は生態学的に何を意味するのか、まだまだ解明すべきことはたくさんありそうだ。
2023.03.14
岩切鮎佳
論文:
1. Iwakiri A, Sakaue D, Matsushita N, Fukdua K (2021) New microsatellite markers for the population studies of Racodium therryanum, a causal agent of snow blight in Japan. Forest Pathology 51: e12666. https://doi.org/10.1111/efp.12666
2. Iwakiri A, Matsushita N, Fukuda K (2021) Snow mold fungus Racodium therryanum is phylogenetically Herpotrichia juniperi. Mycoscience 62: 406-409. https://doi.org/10.47371/mycosci.2021.10.001