マツ材線虫病の分子生態学

松林は、浜辺を始めあまねく日本の各地に、私たちの原風景として独特の風光を放っています。しかし、その松林が今や衰退の危機に瀕しています。日本各地の松林が集団で枯れ始めたのは、ずっと昔のことですが、その後の研究で、それがマツノザイセンチュウという体長1ミリ足らずの線虫のせいであることが解ってきました。マツ材線虫病と名付けられたこの病気は各地で大きな被害を及ぼしており、現在でも年間およそ70万立方メートルの赤松、黒松が日本の国土から失われています。ちなみに、この病気は、近年、中国や韓国でも拡大しています(写真1)。

写真1
写真1:韓国釜山の松枯れ。紅葉ではありません。(金 京姫氏提供)

材線虫病は、マツノマダラカミキリと呼ばれるカミキリ虫(写真2)が、病原である線虫を松から松へと運んで感染させ次々に木を枯すという、病原線虫と運び屋カミキリのいわば「共同作業」によって拡大することが解っています。しかしまだ、線虫とカミキリそれぞれの繁殖特性、線虫のカミキリへの乗り移り、カミキリの飛翔伝搬範囲等々、とても病害拡大過程の細部まで解ったとは言い難い状況にあります。この病気を克服するためには、病害拡大の詳細なメカニズムを十分に理解する必要があるでしょう。

写真2
写真2:マツノマダラカミキリ(前原 忠氏提供)

一般に、自然における生物の繁殖や行動を把握するのには、変異が多い共優性分子マーカーによる解析が極めて有効であることが知られています(研究ファイル「速くて安くて疲れない:新しいマイクロサテライトマーカー作製法」を参照)。本病の病原線虫と運び屋カミキリの繁殖生態を解析するにあたってもこのようなアプローチが必要ですが、私たちがこの研究に取りかかった時には、DNA多型解析を用いた材線虫病の分子生態学的研究、とりわけ超多型共優性分子マーカーとして知られるマイクロサテライトマーカーを用いた研究の論文は、世界中どこを捜してもありませんでした。その頃既に、私たちは、マイクロサテライトマーカーを多数の植物種および菌類種で作製し、自然における様々な種の繁殖特性を解析していましたので、これら一連の研究で培ってきたノウハウを駆使して、病原線虫および運び屋カミキリのマイクロサテライトマーカーを作製し、両者の繁殖の仕方を解析することにしました。

これまでに、三箇所のマツ林(田無、筑波、千葉)で、線虫集団の遺伝的違いを解析した結果、病原線虫がどのくらい頻繁に松林間を運ばれて移動しているのか、松林の中で線虫がどのように繁殖しているのかが明らかになりつつあります(発表論文1)。また、運び屋カミキリについても、日本列島内で、どのように繁殖してきたか、その一端が明らかになっています(発表論文2)。

今後、研究を更に発展させて、病原線虫と運び屋カミキリの遺伝的関連を明らかにし、自然の中での両者の繁殖の仕方と「共同作業」の実態を、細部にわたって調べる予定にしています。こうした研究によって、様々な環境にある松林を対象にした分子生態研究に火が着き、病原線虫と運び屋カミキリの繁殖の詳細が明らかになれば、必ずやそれが新しい防除法へと繋がるに違いありません。

発表論文:

  1. Zhou Z, Wu BY, Sakaue D, Hogetsu T (印刷中) Genetic structure of populations of the pinewood nematode Bursaphelenchus xylophilus, the pathogen of pine wilt disease, between and within pine forests. Phytopathology;病原線虫の分子生態学の論文
  2. Kawai M, Shoda-Kagaya E, Maehara T, Zhou Z, Lian C, Iwate R, Yamane A, Hogetsu T (2006) Genetic structure of pine sawyer Monochamus alternatus (Coleoptera: Cerambycidae) populations in northeast Asia: consequences of the spread of pine wilt disease. Environmental Entomology 35:569-579;運び屋カミキリの分子生態学の論文

2006.10.12
宝月岱造

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