松茸(Tricholoma matsutake)の分子生態学

日本の夕餉の食卓から松茸が姿を消して、大分久しくなりました。国産の松茸収穫量は、今では60年前の100分の1にも満たない状態です。なぜ松茸は、日本の松林からいなくなってしまったのでしょうか?

松茸は、外生菌根菌と呼ばれる菌類の一種で、赤松などの細根に入り込んで、外生菌根と呼ばれる特殊な共生構造を作ります。外生菌根から土壌中に広がる菌糸を根外菌糸体と呼びますが、松茸は、根外菌糸体が土壌中から吸収した養分の一部を、外生菌根を介して松の根に与え、逆に松が光合成によって作った有機物の一部を、外生菌根を介して松の根から受け取っています。一般に、松茸のようにキノコを作る外生菌根菌は、根外菌糸体が発達したり(栄養繁殖)キノコから散布される胞子が定着したりして(胞子繁殖)分布域を広げていきます。恐らく松茸の場合も、栄養繁殖と胞子繁殖のバランスをうまくとりながら繁殖してキノコを作っているはずです。マツタケが採れる日本の松林を再生するには、この両者のバランスを含め、実際の松林でのマツタケ繁殖のしくみをもっと詳しく知っておく必要があるでしょう。

一般に、動植物でも菌類でも、繁殖の実態を調べるには、裁判でも使われる親子鑑定の手法が有効です。DNAを調べると、一昔前には全く解らなかったようなことが、いとも簡単に解ったりもします。特に、ゲノム中のマイクロサテライトと呼ばれる部分を調べると、かなり細かいことまで推定できます(研究ファイル「速くて安くて疲れない:新しいマイクロサテライトマーカー作製法」を参照)。そこで私たちは、キノコ一つ一つのマイクロサテライトを調べることによって松茸の繁殖の仕方を少し詳しく調べることにしました。

まず、調べる対象とする松茸山を探さなくてはなりませんが、幸いなことに、岩手県林業技術センターが管理している松茸山(場所は秘密)を利用して共同研究ができることになりました。普通松茸は、直径数メートルのリング状に発生します(図を参照)。ヨーロッパでは、キノコでできたこのようなリングを「妖精の環Fairy Ring」と呼んでいますが、東北にあるその山では、何カ所かで毎年かなりの松茸の「環」が発生しています。そして、「環」の下には、「シロ」と呼ばれる密な松茸菌の菌糸の固まりが、やはりリング状に繁殖しています。

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上空から松茸キノコの発生位置を見た図:上から見ると、松茸キノコがリング状に発生しているのがわかる。キノコの下には、やはりリング状の菌糸の「シロ」が出来ている。

さて、まず研究の手始めに、松茸のマイクロサテライトマーカーを作製した後(発表論文1)、試料採集に取りかかりました。何といっても相手が高価なマツタケなので、そう自由気ままに採集することは出来ませんが、それでも、結構広い範囲からたくさんキノコを採集し、また、いくつかのシロの一部を掘り出して菌根を採集することが出来ました。作製したマイクロサテライトマーカーを使って、採集したキノコとシロの菌糸の遺伝子型を調べてみると、松茸の繁殖の仕方について次のようなことが解りました(発表論文2)。

初めにどこからか運ばれてきた胞子が小さなシロとして定着すると、その後、シロの環が年々大きくなっていきます。胞子は、近くのキノコからというよりも、かなり遠くのキノコから運ばれるようです。途中、新たに別の胞子がシロの近くに定着して、異なった由来のシロが一緒に一つの環を作ることもあるようです。松林の地下には、付近にある複数の松から根が広がっていて、いわば「根の網」が出来ています。シロは、その上を、既に共生していた他の様々な菌根菌を圧倒しながら、自分の菌根を作りつつ広がっていきます。ですから、シロの中の菌根は、ほとんど全てが松茸菌の菌根で占められています。しかし、シロが通り過ぎると、松茸菌は衰退してしまい、再び松茸菌以外の菌根菌が活動し始めて、以前のように松茸菌を除く多種類の菌根菌による菌根が出来るようになります。

今のところ、こうした研究成果は、松茸の生産増加や人工栽培に直接つながってはいませんが、今後、自然の中での松茸の繁殖の仕方をより詳しく明らかにして、それをもとに松茸キノコの生産を促す斬新な方法が出来たらと思っています。私たちが再び心おきなく松茸の味と香りを楽しめる日が、きっと近いうちに来るはずです。

発表論文:

  1. Lian C, Hogetsu T, Matsushita N, Guerin-Laguette A, Suzuki K, Yamada A (2003) Development of microsatellite markers from an ectomycorrhizal fungus, Tricholoma matsutake, by an ISSR-suppression-PCR method. Mycorrhiza 13:27-31:松茸マイクロサテライトマーカーの作製の論文
  2. Lian CL, Narimatsu M, Nara K, Hogetsu (2006) Tricholoma matsutake in a natural Pinus densiflora forest: correspondence between above- and below-ground genets, association with multiple host trees and alteration of existing ectomycorrhizal communities. New Phytologist 171:825-836:松茸菌の分子生態学の論文

2006.09.30
宝月岱造

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