私はこう見る-東大2050

2050年、情報システムによるコントロールが、社会の隅々まで行き届いていた。森林科学についても例外ではなく、国内のあらゆる森林では、全ての樹木の植栽履歴や成長や位置がリモートセンシング技術によって片端から測定され、それぞれの木にはそれを記録したICチップが埋め込まれた。一方で、それらのデータは、定期的に林業労働者によって読み取られ、オンラインで「ヴァーチャルフォレスト」と呼ばれるシミュレーションプログラムに記録されるようになっていた。森林全体がコンピュータ内に写し込まれていたのである。こうして、森林管理の場は、山の中から一台の小型コンピュータの中へと移動し、その中で完結していた。

その頃の森林科学関連の研究室では、スタッフも学生も、コンピュータの前で、「ヴァーチャルフォレスト」の精度を高めたり、その中での仮想実験をしたりすることにほとんどの時間を費やしており、研究室は、あたかもインターネットカフェの様相を呈していた。既に、先端的な育種技術を駆使して、成長が早く材も優良で花粉を一粒も着けないスギの品種(愛称スゴスギ)や、マツ材線虫病で全滅したマツ林跡地への植林用耐病性マツ(愛称アトシマツ)が作出され、ここかしこに植えられていたので、ほとんどの教育研究は、スゴスギとアトシマツの効率的育成や管理に収斂していた。学生は、実際の森林に入ることもなく、実習と言えば、「ヴァーチャルフォレスト」での仮想伐採の影響評価が中心であった。学生に限らず、こうした傾向は教員にも広がっており、実際に森林内での実地調査は、もはや極めて稀にしか行われなくなっていた。半世紀前には教育研究に重要な役割を果たしていた演習林は、採算重視の結果、いまや、整備されたアスレチック設備と休養施設を整え、単に教員や学生、それに一般の人々のレジャーセンターと化しており、大学内では採算性が高い優良施設となっていた。

そんな中、森林植物学研究室では、半世紀前と同様、汗にまみれて演習林の山を歩き回り、黙々と資料を採集する偏屈な研究者が若干一名、その片隅にひっそりと住みついていた。「森林を歩かなければ森林のことは解らない」などとうそぶきながら、周囲のメンバーの冷ややかな視線に耐えつつ、汚れた服装で何週間も森林の中で研究に打ち込む姿には、一種の悲壮感が漂っていた。

大学は、研究の先端性、収益性、効率性、勝ち組度などについて金額に換算し(なぜかドル換算)、その総額と賃金との差額によって、教員や10年前から有給になった大学院生を評価していたので、こうした時代遅れの採算のとれない研究者を優遇することは勿論なかったが、それでも、最低限の居場所は保証してきた。「大学は、流行から外れた科学研究やそれに携わる奇人変人をも大切にすべきである」という古い大学観が、依然として一定の力をもっていたのである。

そして2050年春、くだんの偏屈な研究者が演習林における地道なフィールド研究をもとに大発見(詳細は2050年まで極秘)を発表した。国際電子ニュースが、繰り返しその成果と意義を報じていた。それは、従来の森林観、自然観を180度覆す大発見で、勿論、「ヴァーチャルフォレスト」のアルゴリズムをも根底から突き崩すものであった。ここに及んで人々は、いまだ自分たちが自然の一部すら理解していないことに気づき、同時に、自然を理解するには、地を這うような地道なフィールド研究がいかに重要であるかを強く認識したのである。

2050年夏、東京大学の先見性を称えるアジア版インターネット新聞の記事が載った。曰く、「私たちは、自然について既に全てを知ったような気になっていたが、自然の懐はそんなに浅いものではなかった。東京大学は、流行から外れ役立たないように見える地味な基礎研究をも、しっかりと守る姿勢をとり続けてきた。私たちは、その先見性に脱帽したい。」

2050年暮れ、東京大学理事会は、「かたくなさ」と「はやらなさ」を、新たに研究者の評価基準に加えることを満場一致で決定した。また同時に、フィールド研究のための場としての演習林の大切さを改めて確認した。(登場する人物、団体等は、全てフィクションです。)

(2006年7月4日付け 東京大学新聞)

2006.07.11
宝月岱造

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